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エトワール [ゲートウエー]

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油彩画 : 「エトワール

「今年もまた12月になりました。」
毎年、同じことを思ってしまう。

時の流れのなんと言う速さなのか。
そして本当に時に速さがあるのだろうか?
また実際、時というものが存在しているのだろうか。

まあー頭の中には歴然と存在している。
時から解放されたとき本当の人類になるのだろう。

過去・現在・未来と一直線上に時を思い描く。
でも少し傾きを変えると垂直方向にスパイラルに上っていく感じがする。
これはこれでちょっとは進化した思考。

空に向かって時が上っていく。
星と星をつなぎながら。
そしてその広さはその人の心の広さ。

自分を出すとその心がせせこましくなる。
宇宙に向かって果てしなく自分を捨て去るとき、
本当の自分の広さが見えてくる。


展覧会のお知らせ [ゲートウエー]

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油彩画 : 「ゆら気」

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京都では2年ぶりの展覧会です。

ライフワークとも言える「ゆらぎ」シリーズを中心に「青の風画」を展覧します。


夜になると月の光を浴びて森の湖が ゆらぎ始める。
ゆれている 小さな波は やがて赤い波へと姿を変えて 黄色い波をを引き寄せる。
緑のなみを 青いなみを ピンクのなみを と。
そして響き合っていく。  交響楽。

ころころ揺れる自分の心を見ているようだ。
それにしては美しすぎる。

心を鎮めると、そのみなもを通して深い静寂の世界が観えてくる。
何にも動じない凛とした意識だ。
「美」が生まれてくる源。

芸術はその「美」というフィルターを通ってやってくる。
心の奥にある深く静かな所。


時間があればどうぞお出かけください。



女神やま [ゲートウエー]

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油彩画 : 「女の神」

最近、山登りのテレビ番組を好んで見る。
まるで自分が登っているような臨場感が好きだ。
寝転がって山を登る。

子どもの頃は毎日のように山を登って駆け巡っていた。 が 。
それ以後、大人になってから一度だけ2530メートルの蓼科山に登っただけ。
しかも7合目からだから1000メートル弱の登坂だ。
子どもが勝手にドンドンと登り始めたので、あわてて後を追い、
登る予定が無かったのに登ってしまったと言う無謀な話。
もう20数年前のこと。

この絵はそのときの蓼科山。
「女神山」とも言われる。
毎年、何かに導かれるようにこの山を訪れる。
懐の深い稜線は佐久平に落ち、その向こうの浅間山に目が移る。
「男神山」、浅間山の別名。

二つの対峙する山が美しい。

紅葉の季節にまた訪ねてみようと思う。



自然と不自然 [ゲートウエー]

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油彩画 : 「アネモネ」

もう秋の気配。
お盆までは強烈な暑さだったのが嘘のようだ。
こんなにもはっきりと変わる夏は珍しいこと。
男性的な夏。
こんな言い方はもう今ではありえないことかも。
男性的とは?また女性的とは?
ちょっと考えてしまう。

やっぱり、季節のめぐり、自然の与える力は大きい。
そんな所にわが人間は右往左往する。
素直に受け止めればいいものを。
自然は滞りが無い。
エネルギーは滑らかに流れていく。

人間が関与すると自然が不自然になることを思い知らされる。
不自然。 これが人間のなせる業だ。
暑い夏を思い出しながらフト想い佇む。

少しでも自然に近づきたい。
そして何より自然でありたいと望んでいる。



静寂を観る [ゲートウエー]

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アクリル : ペルソナ「liberation」

かって、今まで静かな時を過ごしたことがあるのだろうか。
いや、無かったような気がする。
いつも頭の中は騒がしく、取りとめもない思考に支配されている。

静寂は美を与える。
それは、内なる世界を引き出すからだ。

美は時を止める
それがほんの一瞬であっても。
そんな時、本当の自分に出会える気がする。

美を感じることは自分を感じること。

そんなわけで永らく絵を描いてきたのかもしれない。



エゴを超えるⅡ [ゲートウエー]

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油彩画 : 「霧」

心穏やかなときを味わう。
豊かな気分でいる。

エゴはこれを許してくれない。

人はおおむね本来の自分とエゴとの二重構造。
そして多くの時間エゴの支配下にある。
そのことに気がつけばいいのだが、知らず無意識に過ごす。

起こる多くの問題はこのエゴの判断によることが多い。
エゴは心配性、悲観的、怒りっぽい、などの性格を持っている。
出来事に対して判断することが主な仕事。
そして抵抗することによってエネルギーを得ようとする。
逆境をばねに飛躍しようと、でも多くは錯覚でもある。

現実を素直に受け入れれば問題は起こらない。
この大きな原則を理解するのに何が必要なのだろうか。
エゴにとっては耐え難いことだ。

今、本当に求められていることはこのエゴへの認識だ。
エゴの奥にある本来の自分に気がつくことでもある。
ここに来ない限り世界は変わらない。

霧がかかっていてもその美しさには変わりはない。
じっとその美を味わうのは「本来の自分」だ。


幻想の世界にて [ゲートウエー]

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「凛」 :油彩画

形あるものは全て過ぎ去っていく。
この大きな原則をなかなか理解できない。
100年たてばもうほとんどの人がこの世界には存在していない。
言ってみれば幻想の世界なのだ。
何一つ確固としたものが見当たらないのに。

無くなっていくことへの恐怖から現実としてしがみつくのかもしれない。
形あるものへの執着が激しくなるのだろう。

ある感情が湧き上がってきた時、じっと今に味わっていれば、
すーっと消えていくのがわかる。
意識が客観視できればより幻想の世界が現われてくる。

しばらく風邪を引いたりとブログから遠ざかっていました。
このごろ一ヶ月に一回は風邪を引いている計算です。
今までより敏感になったのか、それとも単に体力が落ちたのか。

いずれにしても人間を除く周りの世界が変化しているような気がしています。
そう時代はすでにもう違う次元にに行ってしまった。
ちょっと取り残された思いです。

宇宙的な視野 [ゲートウエー]

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油彩画 :「ムーンライト

新緑の美しい時。
しばらく満月を見ていなかったので、明後日のウエサクの満月が楽しみ。
一年で一番、月のエネルギーが高いと言われている。
毎年、鞍馬寺のウエサク祭に出かけるのも。

自己の確立から融合の時。
時としてものごとを認識することは自分を固定化する。
勉強しすぎることは自分を狭くすることにもなりえる。
自分の名前は何々で、職業はこれこれでと宣言した途端、
自分に枠を嵌めている気がこの頃思えてくるのもこれに似ている。
言葉でしか伝わらないことも確かにあるのだが、言葉では伝わらないことも,
又、たくさんあるのも真実。
不確かなものほど確か。  な~んて。

極に片寄ることをしてきた時代もそろそろ終わりに近づいてきたのかも知れない。
宇宙的な視野の本来の姿に戻るのだろう。



展覧会のお知らせ [お知らせ]

展覧会のお知らせです。

『アートクラフトフェスティバル IN 神戸2015』

5人の作家による個展形式の展覧会。

☆2015年4月22日(水)~4月26日(日)   10:00~18:00  最終日は15:00 まで

☆入場料500円 (高校生以下無料)

☆原田の森ギャラリー(兵庫県立美術館王子分館・本館1階)

今回で3回目の参加となります。
1回目はアクリル画の「ペルソナ」シリーズ。
2回目は墨絵の「奏墨」シリーズ。

今回は油彩画の「青の風画」シリーズ。

美術館ならではの少し大きめの作品を展示します。
どうぞお出かけ下さい。

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ありのままを見る [ゲートウエー]

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油彩画 :「sinhonia」

「人間は考える葦である」 
考えることが人間の優れた所。確かに。

だが絵を描くときにはこれがどうも邪魔になってくる。

「ありのままを見る」ことは当然のように日常的に行っていると。
でもほとんど自分勝手にものを見ているのが現実だ。
同じものを見ても人によって感想が違うのもよくある話。

考えることいわゆる「思考」。
これが曇りガラスのように多くを覆い隠してしまう。
自分も覆い隠してしまう。

自分の奥深くある静かな湖。
本来の自分の存在する所。

芸術はここから生まれてくる。
「ありのままに見る」 こと はここで見なければ見ることができない。
「ありのままに見る」 と そこで大きな力を発見する。


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