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新聞ですけっち ブログトップ
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形への同一化 [新聞ですけっち]

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形あるものが確かなもの。形のないものは不確か。
これは以前にも書いたことがある。
コレがまったく逆であるとは本当に驚くしかない。

目に見えるものと目に見えないものと言い換えてもいいかもしれない。
いずれにしても誰に騙されたわけではないが、信じてしまっている所がまた驚きだ。

人の2重構造のエゴと本来の自分。
このうちのエゴは形あるもの、目に見えるものしか信じようとはしない。
ここにエゴによる形への同一化が起こる。
そしてその同一化した世界しかないと思ってしまう。

起こる事象や事柄は本来ニュートラルな存在。
それにエゴは色々とレッテルやラベルを貼って特別なものにする。
そして自らその中に入って、より世界を狭める。
時には苦しみや恐怖を持って。

そろそろ、エゴを超えて本来の自分に戻るときが来た気がする。
おおよそ殆ど一日中エゴに支配されている己が姿。
過去と未来しか見ない世界。時間に支配される世界。
今にあることができないのもエゴの性格だ。

今しかないことが永遠の証。

やがて形あるものは滅んでいく。
形のないものは永遠を生きる。
こんなことが現実として認識され始めている。

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神のまにまに [新聞ですけっち]

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「新聞紙に奏墨」

今年ももう終わりです。時のの流れの速さに驚きます。
いつも思うフレーズ。
何か気の利いた言葉が浮かべばいいのだが。

年を重ねることはすべて衰えていくことと思って、悲しくなる。
人の定めとは言え、何か他に良いことはないのだろうか?

やっぱり何かありそだ。
そうでなければ生まれてきた意味がない。
そんなことを思い続けてきた一年でもあった。

この世界は3次元世界、正確には4次元世界。
これはエゴが支配する世界と言ってもいい。
本来、人はこのエゴと本当の自分との2重構造。
ほとほと、ほとんどの時間はこのエゴに支配されている。
悲しいことにこの支配されている自覚がない。
もっと言えばこのエゴが自分であると信じ切っている。
ここにこの悲しさが宿る。

エゴは幸せ感と平和さを味わうことはない。
ひたすら欲を満たすことを第一に考えている。
まぁーいろんな欲がある。
そしてそれを何とか一生懸命、時には努力を惜しまず、
得ようと必死に働く。誰よりも多くと。

そしてそれを得ても満足するのはほんの一瞬。
また新たな欲を求めて走り始める。

人はそんなことを永遠に繰り返してきた。

一つエゴから離れてみてはどうだろう。
エゴを本当の自分が眺めるのだ。
その位置が5次元の世界。

そして自分がエゴではないという認識が目覚め。

どうもこのことを知るために生まれ、今まで生きてきた気がする。

その世界からゆっくりと眺めて見れば、世界は美しいはずだ。
神が創った世界だ。

あるがまま、神のまにまに。


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素粒子の交換 [新聞ですけっち]

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秋も深まってきた。 高度1600mあたりでは黄葉真っ盛り。
これからだんだんと里に紅葉が下りてくる。
季節の移り変わり。 木々の葉っぱも次々とバトンを繋げていく。

人間の体も例外ではない。
日々新しい何かに変わっていっている。
でもほとんどそれを実感することは稀なことだ。
すべて自動的。

自然治癒力もその一つ。
悪い所があれば本人に関係なく改善してくれる。
それができなくなると病気と言うことになるのだろう。

細胞の最小単位が素粒子。
その世界まで行くともう空間はガラガラ。
吹けば飛ぶような世界のように思ってしまう。
簡単に素粒子の交換ができそうだ。  悪い素粒子から良い素粒子に。
でも実際は強力なエネルギーで繋がっているのだろう。
この世界の広い空間にはありとあらゆる素粒子が存在する。
それを意識的に取り入れることができれば。

自然はこれをいとも簡単に行っている。
そして人には意識と言う強い力がある。

大いなる自分 [新聞ですけっち]

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自然の美しさや芸術を理解するには今にいる必要がある。
考え事とかエゴが働いていると美を見ることはできない。

このエゴが問題なのだ。
悩んだり、恐怖を覚えたり、不安を持ったり、怒りが湧き起こったり等、
エゴのなせる業で結構ネガティブな性格を持っている。
これが過去や未来に目を向けて今にあろうとしない。
たいてい過去を思えば悔しさや怒り、未来を思えば不安や恐怖が起こる。
エゴは今が大嫌いなのだ。
そして、ほとんどの時間このエゴの言いなりになっているのが実情。

もしエゴを外すことができたなら、そのあとに残るのもの。  
これが大いなる自分だ。
この大いなる自分にいない限り美や芸術を感じることはできない。
エゴを超えた奥深い所にある。

まずは
エゴと大いなる自分、この2重構造をしっかりと認識することが必要なのだろう。



自分の顔 [新聞ですけっち]

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目で見るところは自分の外側しか見えない。 
自分の顔などは見たことがないわけだ。
いつも一緒にいるのに自分の顔を知らない。
不思議と言えば不思議なはなしだ。
自分のことは自分が一番よく知っている。
これも本当かどうか疑いが出てくる。

自分の意識がなければ外の世界も存在しない。
かと言って内側もはっきりと分かるわけでもない。

どちらにしてもハッキリしない。
そんなあやふやな世界なんだなーと新年にしみじみする。

内に全てが [新聞ですけっち]

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展覧会がおわりました。 今回もソネブロの方にもきていただきました。
ありがとうございました。

京都では10年ぶりの墨絵「奏墨」でした。
当然初めて見ていただく人も多く、びっくりされました。

自分の中に全てのものが整っている。
それを静かに眺める時、おのずと必要なものが湧き上がってくる。
それをただただ素直に表現する。
これが絵を描くメカニズム。 

そんなことを多く感じた展覧会でした。

無抵抗 [新聞ですけっち]

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連日のこの暑さはすごいもの。
これだけスッキリと来られると返って気持ちがいいものだ。
暑い暑いと抵抗していると体の調子もはかどらない。
ここは一つこの夏に敬意を表わすのもいいのかも知れない。

自然の美しさは無抵抗さにあるのではと最近思うようになった。
人もしかり。
何で多くのことに抵抗していたのかと暑さと共に感じてしまう。
ある意識を持って抵抗しない生き方もあるようだ。
抵抗が抵抗を生む。
だからと言って人任せの行き方では決して無いことも、
合わせて意識する必要があるのだが。


美の源泉 [新聞ですけっち]

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「天から降りてきた」。 多くの芸術家からよく聞いた言葉だ。

美の本質は思考が働いている間は決して生まれない。
このことに気がつくまで随分と時間がかかった。
思考が外れた時に本来の自分が現れてくることは
以前にも書いたことがある。
いわばカバーが外れる感じだろうか。
または一面の雲が晴れて太陽が現れて来る。そんな感じ。
そうすると溢れるばかりの才能の泉がそこにある。
そしてその泉からただ汲み上げればいいだけなのだ。
と、簡単言ってもなかなかそうはいかないのが現実でもある。

要はいかに本来の自分にいられるかが芸術の本質に関わってくる。
その位置その目から見ない限り芸術は理解できないのかも知れない。

結果を求める [新聞ですけっち]

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何かをする時は当然いい結果を求める。   もちろん得になること。   
日々の行動様態はおおむねそのように働くようにしつけられてもいる。   
結果が出なければ何もならないのが大原則だ。 と今まではそんな時代だった気がする。   
そのために希望とか夢を持ち出して将来に責任をおおいかぶせてきた。   
夢を持ちましょう。   夢があればどんな苦労も耐えられると。   
そして大事な今を台無しにしたものだ。   
将来などは永遠にやってこないのは日々体験しているはず。   
にもかかわらず、なのである。   人は今を生きるしかできない。    
そんなことが今頃実感している。  
そして結果は後からついてくるだ。


テレビ好きだが [新聞ですけっち]

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テレビ好き、子どもの頃からの習慣と言ってもいいのだろうか。  
とにかくテレビがないと生きられない。
ところが最近見るべき番組がないのだ。  
ドラマと言えばは警察関係と病院関係、学校関係のもの、ちょっと食傷気味。 
どうでしょう?   
あとバラエティーとなるともう見る気がしなくなっている。  
歴史ドラマなどは何か押し付けられて窮屈になる。  
年のせいだといわれればそのとおり。   
テレビに依存しているくせに文句が多いことだ。  
だが何かがずれ出しているのも、そんな音が聞こえてくるのも事実だ。   
誰にでも納得できるものなど表層的にはもう得られない時代になってきたのだろう。


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